朝日新聞10月19日朝刊文化面より加藤和彦さんへ北山修氏のコメント
以下、全文引用。
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「すべて一流の
プレーヤー」〜加藤和彦さんを悼む〜
http://blogs.yahoo.co.jp/miwako_uchigasaki/62443963.html もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。それにしても、やられた。すべて計算ずくだったと思う。ワイドショー的なマスコミ報道の減る週末を選んだのも、あいつ一流の作戦だったのだろう。
彼は「振り返る」のが大嫌いだったが、大した戦績だったので、嫌われるのを承知で書こう。
私は、一時期同じ
バンドのメンバーにして、楽曲を作る仲間、そして人生の良きライバルだった。それで故人を呼び捨てにするが、お許しいただきたい。今から数十年前のこと、その加藤がこう言ったことがある。
「お前は目の前のものを適当に
食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」
趣味は一流、生き方も一流だった。
ギタープレーヤーとしても一流で、プレーヤーすなわち「遊び手」としても一流。
グルメであり、
ワインに詳しく、
ソムリエの
資格をとるほどで、何をやらしても天才の名に値するレベルだった。
それがゆえに、凡百とのおつきあいの世界は、実に生きにくいものだっただろう。しかし私たちには、そんな背の高い天才の肩の上に乗ったら、見たことない景色が遥か遠くまで見えた。
加藤和彦が日本の音楽にもたらしたもの、それは「革命」だった。作品だけではなく、彼の生き方や
やり方が新しかった。六〇年代、若者の革命が幾つも夢想される中、ほとんど何も持たない若いプレーヤーたちが芸能界のエスタブリッシュメントに挑んだのだ。はっきり言って、私たちは、アマチュアで、関西にいて、大した機会に恵まれなかった。そして振り返るなら、多くの、「若者の戦い」の中で、あの
音楽の戦いだけは一瞬成功したかに見えたし、クリエーター加藤和彦は、このプレーヤーたちの戦いの旗手となった。
自主制作の「帰ってきたヨッパライ」が300枚作られ、結果的に280万枚を売った半年で、日本の音楽の流れが大きく変わったのだ。大先生が作る作品を歌手が歌うという「上から下」の主流に、自作自演という「下から上」への波が音を立てて流れ込んだのである。その上、新興のシンガー・ソングライター・ブームに対し、加藤の志向は主にバンドにあり、フォークル、ミカバンド、最近では和幸と、ソロ中心に偏ることはなかった。私のようなセミプロを傍らに置いて、たててくれたのも、バンド志向の優しいリベラリズムであったと思う。
後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手のとどかぬところに飛んで行った。戦友としては、その前だけを見る戦いぶりに拍手を贈りたい。
しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。
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posted by 樹理庵 または Julian at 00:46| 東京

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